▲審判団と ▲コッリーナ氏と
▲ニールセン氏と ▲ニールセン氏と

2002年大会・日本開催初戦の主審を務めた、上川徹氏のサインボール

イタリアサッカー連盟のメダル
サインは、決勝戦主審・コッリーナ氏のもの

▲2002ワールドカップ 決勝戦 審判のサインボール
2002 FIFAワールドカップ審判団へのトレーナー業務に対して、JAWOC/(財)2002 FIFAワールドカップサッカー・日本組織委員会から 贈られた感謝盾と大会公式プログラム




代々木のみなさん、おはようございます!
決勝トーナメント一回戦『デンマーク×イングランド』がタイムアップとなり、新潟スタジアム『ビッグスワン』での開催三試合の全てが終了しました。
開始早々にデンマーク・(6)ヘルベグ選手が負傷交代するアクシデントもあり、45分の間にイングランドが三点を挙げる展開となりました。
途中からは東南アジアを思わせる、“スコール”のような大粒の雨が降りしきるなど、色々な事が起きた1st HALFとなりました(ちなみに、ヘルベグ選手はハーフタイム前に、救急車にて病院に搬送されてゆきました)。
試合開始直前まで、とてもリラックスしていたレフェリーズ[第一副審:ミューラー氏、主審:メルク氏(ともにドイツ)、第四審判:モウラド氏(チュニジア)、第二線審:アムレル氏]は、ハーフタイムにもその表情を崩すことなく休息をとり、後半へと備えていました。

ビッグスワンはメインスタンド下部の、中央から右奥に向って、順に『ホームチーム用ドレッシングルーム』『救護室』『レフェリー控室』『ドーピングコントロールルーム』『アウェーチーム用ドレッシングルーム』などが配される構造になっています。
審判控室付近にいたことにより私は、イングランド代表が〔アウェー用ドレッシングルーム⇔ピッチ〕間を行き来する様子を、間近で見ることができました。
あの(10)オーウェン選手は、172cmの私と同程度の身長でしかありませんでした。
ワールドクラスのディフェンダー達も手を焼く、爆発的な突破力とシュート力を備えた『ワンダーボーイ』の“凄み”のようなものは、その姿からは見受ける事はできないくらいの、『普通の少年(青年)』といった雰囲気でした(ちなみにマンチェスター・ユナイテッドの中盤のダイナモ、(8)“スコール”ズ選手はというと、私よりもやや小さいくらいでした)。
そして、キャプテンでもある(7)ベッカム選手も、1m以内での“至近距離”にて拝ませていただきました。
事前に思っていた通り『カッコいい人』である事は確かだったのですが、それ以上に受けた印象が「キレイな顔だなぁ」という点です。つい顔ばかり見てしまって、adidasの特注スパイクに縫い込まれていたはずの、愛息の名前『ブルックリン』や『がんばって』という日本語での刺繍文字に目を向けるのをすっかり忘れてしまいました。

雨もすっかりと止んだ後半、そのままスコアは動くこともなく、3-0でイングランドが勝利を収めてベスト8へと進出することとなりました。

控室に戻ってきたレフェリーズの顔には、安堵とともに満足感が漂っておりました。
そしてシャワーを浴びるのも後回しにして、早速ビールにて“祝杯”をあげるのでした[写真(右)]。
ドイツの二人はもちろん、アムレル氏の母国であるチェコも『ピルゼン』で知られるビールの本場だけに、三人揃って美味しそうに飲み干しておりました(ムスリムであるモラウド氏は、スポーツドリンク『アクエリアス』にて“乾杯”に参加)。

そして、この日“唯一の仕事”ともいえる、メルク主審への下肢マッサージを終えて業務完了。
その後、お土産としてビッグスワンのポストカードなどをレフェリーズに差し上げたところ、アムレル氏からチェコ協会のペナントを、メルク氏からはドイツ協会のグッズ(ネクタイ、ネクタイピン、ペナント、キーホルダー、ピンバッジ)を頂戴しました。ペナントには、寄せ書きまでしていただきました(^o^)。

最後に、国際審判員OBである、レフェリーインスペクター:コデサル・メンデス氏(メキシコ)[写真(左)右端]も交えて、全員で記念撮影('90イタリアW杯決勝における、唯一のゴールとなった“ミスジャッジ”PKのことは、水に流してやりました)。
そして、ホテルへの帰路に就こうと部屋を出て行く際、メルク氏に「日本×ロシア」での素晴らしいゲームコントロールへの感謝の言葉を伝えるのでした。
『ベステンダンク(本当にありがとう)』---後方から引き倒した、戸田選手の行為に対して、PKの判定を下さなかったことに---。

おつかれさまでした!!
【2002FIFAワールドカップTM 新潟ベニュー・レフェリーマッサー/萩本良博】